豊田 有希(とよた ゆうき)

  • 横浜市会議員(港北区選出 無所属3期)
  • 政策・総務・財政委員会 委員
  • 郊外部再生・活性化特別委員会 委員
  • 港北消防団第二分団 団員
生年月日 昭和50年(1975) 5月7日生まれ
血液型 A型
家族 妻と高校生女子、中学生男子の4人
趣味 水泳、マリンスポーツ、キャンプ、料理など

<経歴>

平成3年(1991) 私立武蔵中学校 卒業
平成6年(1994) 私立武蔵高等学校 卒業(68期 水泳部OB)
平成11年(1999) 東京大学 文学部行動文化学科 社会学専修課程 卒業
広告代理店、株式会社電通に入社
平成22年(2010) 中央大学ビジネススクールを修了(経営修士MBA)
同年10月、株式会社電通を退社
平成23年(2011) 統一地方選挙にて横浜市会議員に初当選
平成27年(2015) 統一地方選挙にて横浜市会議員(2期目)に当選
平成31年(2019) 統一地方選挙にて横浜市会議員(3期目)に当選

<議員になるまでの歩み>

幼少期

  • ●神奈川県出身の両親のもと、埼玉県にて4人兄弟の三男として誕生。
  • ●幼少期を北海道(恵庭市、釧路市など)の大自然の中で過ごし、今に続く大の動物好き、自然好きの原点となった。
  • ●国家公務員であった父の転任により小学校では転校を繰り返し、環境に馴染むために学級委員やクラブ活動などを率先してやっていた一方で、ケンカもまた日常茶飯事だった。
  • ●それぞれの地域でスケートや少年野球、水泳などの運動に励むほか、勉学は公文式に通い、家ではファミコンや料理などにもはまっていた。

学生時代

(中学・高校)
  • ●6年生の秋に埼玉に転居し、私立武蔵中学・高校に進学。部活は水泳部(メインは水球)に入り、青春を水球にかけた。
  • ●高校生になると体育講師の紹介でサーフィンが趣味に。部活を終えた夜はサーフィン代を稼ぐためにアルバイトする毎日だった。
(大学)
  • ●一浪して、東京大学文科二類に進学。
  • ●20歳の時に親元を離れ、いくつものアルバイトを掛け持ちしながら、住まいはマンションの管理人、食事はレストランのアルバイトのまかない飯、学費は奨学金でという清貧生活を送る。
  • ●大学では経済学から社会学へと専攻を変え、当時創成期であったインターネットが企業や社会に与える効果などを研究していた。

社会人時代

  • ●企画で大勢の人を楽しませたいとの思いから総合広告代理店の電通に就職し、以後退職するまでの12年間において国内外の企業をクライアントにプロモーション・営業・メディア・プランニング・事業開発など、多様な実務に携わった。
  • ●30歳の時に長女、33歳の時に長男が誕生。
  • ●入社10年を契機に留学を志すが、妻と相談の上、勤務を続けながら夜間のビジネススクールに2年間通うことに。伸長目覚ましい新興国市場や対中投資戦略についての実務研究を行いMBA(経営修士)を取得。その後も研究を続け、外務省の日中友好使者団 学術分野代表や大学講師などを務めた。
  • ●やがて二児の父として、また海外の現場に触れる中で、日本の国際的地位の低下や将来ビジョンの欠如した党利党略ばかりの政治に強い疑問を感じ、徒手空拳で改革に身を投じることとなる….